金継ぎとは壊れた陶磁器を漆で修繕し、その部分に金蒔絵を施して仕上げる修理法のことで、金繕いとも言う。内容的には本漆を使って本格的に金の平蒔絵を施したものを頂点として、合成接着剤で接合し、金色の塗料で蒔絵らしく見せる安易な物まで幅が広いが、いずれにしても、この修理法は破損前に比べ、明らかに修理跡がはっきりと残る、というよりは、むしろ修理した事をわざと知らせて楽しんでいるようである。
陶磁器の焼き方はもちろん、土や釉、厚みや量感にあわせて、ある時は瀟酒にある時は豪放に繰り出される金の線は、それぞれ焼き物の性格に感応し、偶然にできたひびの上を丁寧に追いながらも、必然であるかのような美しい風景を作り出すのである。
漆の使用例は、器や櫛の塗装に使われた縄文時代よりもさらに遡り、石器時代に矢尻などの狩猟道具の補強に使われていたとみられている。塗料として使われる前に接着剤として使用されていた事を考えると、時代を経て漆の加飾技法が大陸から伝わり、器の修理としての金継ぎが完成したことは当然の成り行きであったのだろう。
中国には割れた陶磁器を鎹(かすがい)で修理する技術があり、日本でも戦前までは街頭で見かけられたそうである。陶磁器の割れ目の両側に浅い穴を彫り、比較的柔らかい金属の鎹を少しづつ打ち込んでいく手技である。この技法で修理された名品「馬蝗絆(ばこうはん)」と呼ばれる青磁の器が、東京国立博物館に所蔵されている。これは伏せた時の鎹を馬の背中に乗った蝗(いなご)になぞらえてつけられた名前であるが、なんと趣のある捉え方と表現だろう。
金継ぎにしろ鎹にしろ、その修理の痕跡を景色に見立てて楽しむ心持ちは、東洋的なものの見方や宗教観に根ざしているように思える。大切なものを誤って壊してしまった時の落胆はどんな人も同じだと思うが、アニミズム的な神道に仏教が融合して培われたアジア、特に我が国の精神風土においては、まず、形あるものは必ず消滅するという諦観のような気持ちをもって捉えた後に、粉砕した破片を全部集めて修理を試み、また使えるようにならないかと考える。これは大切に使い愛着を感じた物は、単なる無機的な物質とは思わず、命あるものに対するように慈しみ、捨ててしまう事を勿体ながる日本独特の情緒であろうか。
一方、西洋の文化の中での修理というと修復や復元という表現が近く、破損前の状態にできる限り近づけ、目立たぬように彩色を施すという傾向がある。それは制作者や作家の個を大切にする考え方のせいもあるだろうが、キリストの復活が象徴するように、消滅してゆく物に対して完全な復元を理想とする土壌があるためではないだろうか。これに対して、日本の金継ぎは、破損や消滅を惜しみながらも受け入れ、恥とは思わない故に修理跡を隠さず、さらに新しい美へと昇華させてゆこうとするのである。言い換えれば輪廻転生、「生まれかわり」が血脈となった修理法なのかも知れない。