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一枚のお盆 photograph© Shigeki KUDO

ここに一枚の鎌倉彫りのお盆がある。我が家でなにげなく使われている薄手の楕円形のお盆で、縁も欠け、塗も擦り切れた古道具ではあるが、鯛をモチーフにした目出度いデザインで、使い勝手も良く、毎日愛用している。裏を返すと古びた黒漆の中に「〜海軍満〜福〜」という文字がようやく読み取れる。「海軍満州国〜」であろうか。満州国が建国された時に作られた物か、その後の記念日に因んで作られた物かははっきりしないが、義理の伯母が満州国大使館に勤めていた時に頂いたものであるから、およそ70~80年前のものである。

古道具の中でも木工芸の雑器は、素材的に劣化、損傷しやすいため、金属や陶に比べると安価に取引され、数も少ない。言い換えれば、良い状態の木工雑器は古物では手に入りにくいと言えるし、使用強度のことまで考えるとさらに少なくなる。そうした状況の中で80年もの年月の使用に耐え、愛着に応えてきた、ということはどんな事なのだろう。

楕円の盤面いっぱいに跳ね返る鯛を活き活きと描いた大胆な意匠といい、淀みのない刀さばきや、未だに反りもなく使いやすいことといい、このお盆には手仕事の確かな技術がいきている。

デザインと手技が両立した秀逸なものであることが、時代に選びとられていく条件なのであろう。

また、関係者に配布する相当量の記念品を手作りの一品もので賄うということは、当時は工賃が安いとはいえ、その時代の軍権の強大さを伺うことができる。それは江戸時代に武家大名や豪商を背景に興隆した美術工芸の世界、いわゆるパトロン時代のように、材料も彫り手の人件費も値切られることはなかったのだろう。

戦争はほとんどが負の遺産だったが、軍需景気と相まって、美術工芸を庇護する一面もあった。

また、その時代は、作り手はパトロンである為政者や富裕層に対して敬意を払って自分が選ばれたことを誇りに思い、クライアントであるパトロンは時代の名手の技量を尊敬すると共に潤沢な費用を持って発注出来ることに矜恃を持つ、という相互関係が成り立つ世界であった。

そういった世界はいかにも前時代的であるが、経済効率とコスト計算に意識が傾きがちな現代のものよりも、豊かなものが出来上がる要素が多かったような気がしてならない。

工藤茂喜