Interview DEE’S HALL 土器典美 DEE’S HALL / Yoshimi DOKI 聞き手:松本武明(うつわノート) / 文・構成:衣奈彩子 / 写真:大隅圭介 / Nov. 2014
DEE’S HALLの前身は、アンティークの生活道具店
松本 土器さんがこの仕事についたのは、いつからですか?
土器
ギャラリーというより、お店というものを最初にやったのは、24歳の頃ですね。友達と一緒に、ベルコモンズでアンティークショップをやっていたんです。といっても、東京でお店を取り仕切っていたのは友達の方で、私は、ロンドンに住んで、ジャンクなアクセサリーや古着を買い付けては、東京に送っていました。
ベルコモンズは、もうすぐ取り壊しになってしまうけど、1976年にできたファッションビルで、当時は、東京の最先端。コムデギャルソンも、Y’sもファーストショップはみんなベルコモンズでしたね。そこに私たちもお店を出していたの。アンティークのアクセサリーなんて当時日本になかったから、すごく話題になりました。生活雑貨もその頃からちょっとだけやっていて、いまでこそみんなよく知っているけど、スージー・クーパーのヴィンテージのカップ&ソーサーを紹介したり。
ロンドンには、6年くらい住んでいたんだけど、のみの市に行くと、アンティークのお鍋とか、カントリー系のキッチングッズとか、日本では見た事のないかわいくて使えるものがいっぱいあって、それに衝撃を受けて、お店で扱わないものでも好きなものはいろいろと買って集めていたんですよ。そうこうしているうちに、日本に帰ることになったので、集めていたアンティーク雑貨を全部持って帰って、今度は、青山でキッチングッズのお店を始めたの。それが、生活のものを本格的に扱うようになったきっかけなんです。
松本 そういうお店は、当時、他にもあったんですか?
土器 坂田和實さん(「古道具坂田」)は、70年代からいまの場所でやっていました。当時、若い人がやっているそういうお店は、10軒くらいしかなかったかな。それまでは、西洋骨董といったら、美術品のような高価なものばかりで、お鍋やはかり、キッチンツール、かご、食器という生活の中で使えるヨーロッパのアンティークは、70年代の日本には全くなかったです。
松本 帰国してそのお店を開いたのは、何年ですか?
土器 1980年ですね。「DEE’S ANTIQUE」の名前で96年まで16年間やりました。ちょうど雑貨ブームと言われて「F.O.B COOP」や「アフタヌーンティー」ができた時代。アンティークだけど、うちも生活雑貨を扱っていたのでブームの中にいました。
人気のあった店を閉じた理由
松本 16年経ってもお店はうまくいっていたのに、閉店した理由は?
土器 ロンドンで6年、東京で16年。ずっとアンティークをやっていると、自分の眼ばっかり先に行っちゃうんです。自分の興味はだんだん変わっていって、もっといいものとか違うタイプのものも欲しくなってくる。でも、お客さんのDEE’S ANTIQUEに対するイメージは、最初と変わらなくて。それまでやってきたことを求められるのが当然だけど、それでだんだん、私が扱いたいものとお客さんが求めるものの間にギャップが出て来てしまったんです。例えば、ペイズリーの生地とかキリムのような古い布にのめり込んじゃったことがあるんだけど、うちは、雑貨屋さんだったから、そっちに行くとお客さんが混乱しちゃうのよね。それに自分の好きなもののクオリティが上がってくると、どんどん値が張るものになってくる。自分で仕入れに行き詰まったんです。それで、一度リセットしてみようかなって。
松本 雑貨ブームから広げて、多店舗展開するとか、規模を大きくすることはできたはずですよね。
土器 そういうお話は、ありましたよ。だけど、私は、自分で仕入れにいくのが好きだったの。海外に行って、自分で選んで、仕入れて、日本に送って、自分の手で売ってというのが好きだから、人を雇って2店舗も3店舗もというのは、考えられなかった。
松本 自分の感覚が届く範囲を守りたかったんですね。それがお客さんとずれていくなら、一度閉めるのが賢明と。もったいないといえば、もったいないですよね。
土器 それでもお店を続けたいと思ったら、今までの路線を誰かに任せるか、自分の進化系を貫いて店自体が変わって行くか、どちらかでしょ? 私には、両方自信がなくて無理だったから、一度辞めて考えようと思ったの。
松本 経営したいというよりも、自分の感覚に共感してくれるお客さんを大事にしたかったんですね。
土器 私が選んで来たものを「これいいわね、私も好きよ」と言ってくれるお客さんがいることの喜びがあったから、続けて来たんだと思うの。せっかく見つけて来た貴重なアンティークを売るのは惜しくない?と聞かれることがあるけど、それは全然ない。むしろ私が見つけたものに共感してくれて嬉しいという感じかな。ものは、私にとって、その人と繋がるための媒体なのね。いまのDEE’S HALLも、そんな感覚でやっているような気がします。アートを紹介することでお客さんが感動してくれたり、作家さんが喜んでくれることが嬉しくてやっているんじゃないかなって。作品を見せるだけではなくて、人と人を繋ぎたいんですね。
DEE’S HALLをオープンして
松本 DEE’S HALLを始めたのはいつですか?
土器 2001年ですね。DEE’S ANTIQUEを閉店した後の5年間は、雑誌で連載をしたり、本を出したりしました。そうしているうちに、青山のいまの場所に家を建てることになって、都心の住宅街の奥まった場所にあるので、ギャラリーにしたら気持ちよくやれそうだなと思って。
松本 今度は、ギャラリーとして継続的にやろうという考えで始めたんですね。最初の展覧会は?
土器 海田曲巷(かいだ・きょっこう)さん。茶杓を削る作家で、いまではその世界の第一人者だけど、彼が初めて展覧会をしたのが、閉める前のうちの店(DEE’S ANTIQUE)なの。当時はもちろん無名だったわけだけど、だんだん知られていって人気が出ることは、私にとっては、醍醐味ある大きな喜び。新しい作家さんを紹介するというのは、すごく面白いことだと感じています。うちで最初の個展をしたという作家さんは、多いんですよ。
松本 展示内容や展示のペースは、どんな風に計画しているんですか?
土器 アンティークを扱っていた時と一緒で、基本は、自分が好きなもの。ジャンルも決めていません。工芸の展示もするけれど、ここは広いから、うつわのような小さいものを展示するのは難しくて、あまりやらないですね。展覧方法も含めて展覧会だと思うから。
松本 展覧会というのは作家のものというだけではなくて、DEE’S HALLの空間も合わせた全体でありたいということですか? 作家や作品の力だけには、頼らないと?
土器 うん。例えば、前川秀樹さんの彫刻作品は、生活空間と繋がったこういうギャラリーで提案することで、作品との距離が縮まって生活に取り入れやすくなると思うの。美術コレクターでアートをよく知っている人なら、作家や作品の力だけでこれがいいと選べるかも知れないけど、うちは、一般のお客さんで初めて絵や彫刻を買う人も多いから、なるべく作品が一番よく見える展示にして、空間と一緒に見せたいですね。
松本 どういうものを美しいと思いますか?
土器 美しいというか、作った人の作った跡が見えるもの、作った人の思いが見える感じが好きかな。
松本 これまでの取扱い作家を見るだけでも、DEE’S HALLらしさというのは、伝わってきます。ギャラリーでありながら、銀座のアートギャラリーのような権威的なところはなく、趣味性の強い雑多な空間でもない。これはまさに、土器さんの眼ですよね。
土器 工芸もアートも、申し訳ないくらい不勉強で、好きかどうかという感覚だけでやっています。続けられているのは、作家さんの力量があるから。私の眼というなら、そういう作家さんを選んでいるだけのことだと思います。
ここから巣立った作家たちを見て思う事
松本 初めての展示がDEE’S HALLで、その後、広く知られて活躍している作家さんが多いというのも、それを証明していますね。前川秀樹さんも像刻作品を展示したのはここが初めてですよね。沖潤子さんや山口一郎さん、小前洋子さん、中西洋人さん、帽子作家のスソアキコさんもそうですね。作家さんには、土器さんが声をかけるんですか?
土器 昔はそうでしたけど、いまは、作家さんの繋がりの中で紹介してもらったり、うちに合いそうだからと教えてもらうことが多いですね。ずっとお願いしている作家さんも、15人くらいいます。
松本 紹介された人、すべてを受け入れるわけではないですよね? 決める時のポイントは何ですか?
土器 結果的になんだけど、みんな好きな人たちなの。作品はもちろんだけど、それ以上にその人が好き。作品をずっと見て来た作家さんではない場合は、最初に何か興味を持たないとやれないでしょ。作品を見るのと同時に、人を見ているんじゃないかなって思うことはありますね。全てではないけれど、初対面で、ああ面白い人だなって思うと、作品も好きなことが多いです。
松本 それを、お客さんが評価してくれたら、また嬉しいですね。
土器 そう。作品を商品として捉えていないということかな。私は、アートを扱っているけど、画商にはなれない。だからといって、売れなくていいわけじゃないのよ。やっぱり作品を売る事は大切。だって売れることがその人の評価に繋がるんだから。高い安いではなくて、たとえ2万円の絵だとしても、誰かがその2万円を支払ってくれるという評価をきちんと得たい。作家にも作品に対しても引き受けた責任があるので、展覧会が始まると、そこは頑張っちゃいますよ、私。
松本 その気持ち、よく分かります。DEE’S HALLは、 そうやって、アートを仰々しく発信するのではなくて、生活の中に引き込んで調和させることを目指しているんですね。
土器 そう、そこをやりたいんです。工芸であれば、使うものだから、みんな比較的気軽に買うんだけど、絵や彫刻、写真になると、ちょっと敷居が高かったりするでしょ。それは分かるんだけど、暮らしの中にアートがちょっとあることで、毎日が楽しくなったり、生活が潤うということが絶対にあるんですよ。インテリアを考える時、家具にはお金を使うでしょう? その家具をひとつやめて絵を買ってみない?と思うの。アートは必需品ではないけれど存在感があるから、ひとつあると暮らしに深みが増すよって。美術的価値だけを基準にするのは、私がここでやることではないかなと思っていますね。家具と同額くらいのアートというのが、紹介する時の目安になっています。
暮らしを豊かにしてくれるものとしてのアート
松本 アンティークの生活雑貨を取り扱っていたのと同じ感覚なんですね。暮らしの中で気持ちを豊かにしてくれるものとか、部屋をかっこよく見せてくれるものとしてのアート。それ以上の美術品を取り扱う気は、全くないですか?
土器 美術的評価やコレクターに向けたものは、また違う世界かなあと思います。私は、若い作家さんが世に出るきっかけを作れればいいと考えているの。その先どう進んでいくかは、作家さんの意向によりますから。お客さんに対して言えば、例えば、新しい家に住むという時に、家具を売るお店はいっぱいあるし、雑貨を売るお店もいっぱいある。だったら、そこに掛けるアートを売るお店もなくちゃだめよね、そういう感覚ですね。アートをいわゆる美術とは捉えていないんです。
松本 最近は、そういう作家が増えていると思いませんか? 以前は、発表の場が銀座の画廊しかなかったとも言えますが、いまは、展示場所の選択肢も広がったのでしょうか。
土器 いまの時代は、画廊でやったから売れるわけではなくて、うちでやったほうが売れることもあると思います。アートが一部の人の眼にしか触れない特別なものになってしまうのは、残念。作家もギャラリーに任せきりではなく、自分の作品を売るという意識を持つことが大切だと思うの。うちでは、作家さんが展覧会の間、ずっとここにいて、お客さんと話したり、お客さんが作家の家に遊びに行ったり、アーティスト同士が親しくなって繋がっていく。私は、そういうのが好きだし、必要だと思っています。
自由であることと、選ぶ責任と
松本 ここでは、アーティストも生活者であることが分かります。土器さんの住まいとギャラリーが繋がっていることも、暮らしの中のアートを想像できる理由のひとつでしょうね。この絶妙なバランスとセンスはどうやって培ったんでしょう。
土器 出身は高松です。父が骨董屋でしたけど、それよりも、高校を卒業して東京に出て、セツ・モードセミナーに入ったのが大きいですね。当時『装苑』に創設者の長沢節先生が連載をしていたんだけど、高松でそれをいつも読んでいてすごく憧れたの。60年代の日本なんて何もない時代だから、ものすごくおしゃれに見えて「この人の学校に行く」って決めて東京に出て来ました。
松本 在学中に得た、一番大きいことは何ですか?
土器 セツ・モードセミナーというのは、美術の学校なんだけど、どちらかというと長沢節先生の生きる哲学、美意識の育て方を学ぶところだったのね。自由な学校だったけど、自由であることは、責任が伴うことで大変なことなんだよというのを教わったんだと思います。自己責任においてやれるなら、何をしても自由でいいよということをよく言われましたね。だから、自由な生き方というのに、ものすごく憧れたと同時に、自分の行動や選択に責任を持つということに関しては意識が高いと思います。私は、好き勝手に生きているけど、自分がやることに対しての責任というのはいつも強く意識していますね。
松本 ギャラリーは、作家を紹介しますが、作家には生活がかかっているわけで、売る側の責任は大きいですよね。
土器 そうですね。それに、お客さんに対しても責任がある。私が勧めたものを、買って本当によかったと思って欲しい。だから、自信を持って紹介できるものしか扱えないし、展覧会もそんなに頻繁にはやれないんですよね。
自分の眼で選んだその先にあるもの
松本 それでも、これだけ錚々たるアーティストを世に出しているというのは、すごいことですよ。最近のアートや工芸界について、思うところはありますか?
土器 工芸の世界には、人気作家がいて、その作品は跳ぶように売れていくでしょ。でもそれはお客さんが自分で見つけているというより、みんながいいと言っているから選んでいるところもあると思うの。ギャラリーやメディアがきっかけを作ったり、存在を知らしめるというのは、重要な役割だと思うんだけど、それに気付いたお客さんがその先に行ってくれるかどうかですよね。一般の人の眼が人気作家以外のところにまで届かないのは、そのお客さんが本当の意味で自分で選んでいないからかも知れませんね。
松本 もっと自分で選ぶ人が増えて欲しいですよね。
土器 実際は、もっといるんじゃないかと思いますよ。日本人って、もともとは、季節に合わせて生け花をしたり、掛け軸を選んだり、俳句を読んだり、生活の中にアートを取り入れて来たでしょ。だから根本的には、美術意識が高い民族なんじゃないかと。
松本 僕は、DEE’S HALLの展示を見ていて、日本人の暮らしの中にそういうものを取り戻すことができるんじゃないかと思うことがよくあるんです。特別なものではなく、生活を一緒にするものとしてのアートというのがあるんだと。
土器 そんな風になったら、いいですね。いまのうちのお客さんは、私と同じ様な人がきっと多くて、すごく感覚的に自分の好きなものを選んでいて、それを生活に取り入れることを楽しみたいという人。面白いのは、そういう人は、大抵、ひとりで見に来ますね。
松本 アーティストの出口になるようなこういうギャラリーが、もっと多くできて欲しいと思いますね。いまは、ギャラリーというよりも生活道具店というのが増えて、それがひとつのスタイルにまでなってしまった。
土器 それがいまの時代というのは、あるでしょうけどね。私たちがお店を始めた70〜80年代というのは、日本が成長している元気な時代でした。経済的な余裕というのは、心の余裕にも繋がって身の回りのものをいいものにすることができたけど、いまのように、先行きが不安な世の中では、なかなか難しいかも知れないですね。
松本 でも、反対に、お金に踊らされないがゆえに、身の丈にあったものを作る人や買う人が増えている。そういう健全さは、むしろいまの時代の方があるのではないでしょうか。バブル期の高価なものや海外のブランドものがいいという価値観から、作り手と自分の生活が繋がっている実感のある生活がいいという考え方に変わっているのは、良いことのような気がするんですが。
土器 確かに、健全であることは良いことだけど、身の丈にあった暮らしだけで無駄もなくというのは少し寂しい気がします。絵を一枚壁に掛けてその絵から元気をもらうことがあるように、アートは、心の健全さを保つ役目も担っているので、無駄の効用というか、こんな時代にこそ、むしろ必要なんじゃないかとも思います。
背伸びをして買うことが、自分の眼を養うこともある
松本 確かに、アートは、身の丈に合った買い物というよりも、ちょっと背伸びして手に入れるものなのかも知れないですね。
土器 でもね。ちょっと背伸びして買うというのも大切なことだと思うの。5万円ならすぐに買えるけど、目の前の欲しいものは、10万円だという時に、どうしよう、買っちゃおうかなって、迷いに迷って手に入れたものってすごく嬉しいですよね? わくわく感というか、高揚感があるのよ。背伸びして作品を所有しながら、いいものを自分のものとして見るようになると、見る眼が育って行くし、どんどん自分で見つけることができるようになる。ものを見る訓練にもなるから、特に若い人には、ぜひ、背伸びしてでも買う経験をして欲しいと思いますね。
松本 お客さんが悩んで悩んで、最終的に買ってくれると本当に嬉しいですよね。消費というのは“消える、費やす”ということに限らない。“費やして、生まれる”ものがあると思います。
土器 背伸びすることができた自分を嬉しく思って、自信がつくとか、精神的にもいろいろな成長があると思いますよ。
松本 生活の中に美しいものがあることは、日々、自分を高めてくれますよね。
土器 そう。美しいものをひとつ手元におくと、もっと美しいものを見つけることができるようになる。だからぜひ、最初のきっかけに何かアート作品を買って欲しいと思いますね。もっと気軽に、まずは接することから始めて欲しい。
松本 gallery’s eyeは、使い手、作り手はもちろん、これからギャラリーを始めたい人にも、なんらかの気づきを与えられればいいと思っています。いま、暮らしの道具店は増えているけれど、暮らしのアートを扱うギャラリーは、まだまだ少ない。独自の感覚のギャラリーがもっと増えて欲しいですね。今日は、ありがとうございました。