
Interview 高橋禎彦「さわれないもの」
ー 「さわれないもの」を作り始めたきっかけは?
最初の頃は、透明なガラスでちょっと触りたくなるような、キレイなオブジェみたいなものを作って。それが瓶の中に入っていると触れない、みたいなのがちょっと面白いかなと思って、瓶の中に入っているというやり方で始めました。
たぶん何でもそうだと思うけれど、物ってある距離感でちゃんと見た時に、ものすごく自分に響くというのがありませんか? 手のひらに載せるのもそうかもしれないし、展示台に載せるのもそうかもしれないんだけれど、瓶というケースの中に入れるというのも、その距離感の一つの在り方だと思います。ガラスの透過性という特徴を生かせる方法の一つでもあります。
ー 瓶の口にはちょこんと小さな栓が載っています。あえて密閉はしていないのですか?
瓶の口を閉じちゃうと“閉じちゃった”ってことになりますよね? 閉じちゃった瞬間に瓶ではなくなるんですよね。瓶って、容器、容れ物としての存在感もあるし。昔から、瓶=ボトルって、ガラスでいちばん作られている容れ物なんじゃないでしょうか。
1000年ぐらい前のローマングラスにも、ハンドルのついているジャーの中にジャーが入っているというのがあります。よくその時代にそれを作ったな、みたいなものです。
だからある意味、この「さわれないもの」は古典的ないちばんベタなやり方なのかもしれません。
ー 飴グレーの「さわれないもの」は、透明のガラスとはまた雰囲気が変わりますね。
透明だとキラキラしたりとか、光を拾ったりとか、何かそっちの方に意識が行くんだけれど。ガラスにちょっと色がついていると、見えないものに近くなるというか、“触れないプラス見えにくいもの”っていう感じになります。その不自由感はちょっとありかなと思って。飴グレーだと“半分見えない”とか、“シャドウ”とか、そういうワードがちょっとあったりするんですよ、裏に。いつもより見えない、見えているか分からない。抽象までいかない、何かぼやっとした雰囲気。
逆に、透明だと形がわかりにくいのに、色がついているガラスだと形がちょっと見えやすくなるものもあって。たとえば、瓶の中に入れるものとして、人の形というのは結構ハードルが高いんだけれど、色がついているとわかりやすくなったりします。そこが面白いなと思っています。
ー 制作するものは、まずスケッチを描かれるんですか?
吹きガラスという仕事自体が、フリーハンドでしかできないんです。ガラスで作るのって見るとわかると思うんですけれど、一発勝負なんですよね。器ものを作る場合には、ちょっとここを直したいなと思ったら、いくらでも後から手を加えていくことは出来ます。でも、そうではなくて、ガラスって吹いて最初に出てきた時の膨らみとか線とかっていうものの方が、ずっとキレイだったりするんです。
だから、その一瞬で何をやるか、自分で判断するか、みたいなところは、いちばん大事になってくるという意識はあります。
制作の前に“こんな形”っていうスケッチを描くけれど、それは寸法のことではなくて、あくまで雰囲気なんですよね。どれだけ現場の前にイメージしておくかというのは、とても大事だと思います。その練習は紙の上のスケッチでできると思うんですよね。紙の上なら火をつけなくても練習できるし。
やっぱりそのイメージがないと全然だめですね。たぶん1個だったらできるんです。でも、何個も繰り返し作ろうと思うと、イメージがちゃんとできていないと無理な気がします。
文・構成:竹内典子 / Jan. 2025