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パノラマ座談会「焼き物の創造性を楽しむつくり手」広瀬一郎 [西麻布 桃居] × 竹内紘三 × 田淵太郎

二つのベクトル

広瀬 ちょっと話題は変わって、お二人の作品を見て思うことを話します。当然、二人ともつくっている世界は違うし、別の作風ですけど、最初に見た時からずっと思っていることとして、お二人に共通するところを感じます。それは何かっていうと、竹内くんの場合だと、造形的にはキューブ、立方体というのをベースにしている。ベクトルでいうと、造形だけ見ていくと、デザイン的な思考があり、構築的な思想があって、自分で100%コントロールしていこうという仕事。実際にそういう方向で仕事をしている人というのは、最後の焼成まで自分できちんとコントロールして、着地点を決めながら仕事をするんです。でも竹内くんの仕事を見ていると、造形についてはすごく自分がコントロールしていくんだけど、そこに全く相反するようなファクターとして、焼くこと、焼成することによって人間がコントロールできないようなものを載せている。最終的なところは自分が100%制御しきれないものに委ねていて、そこで出てくるテクスチャーの広がりとか深さとか豊かさを求めている。つまり、仕事の中に相反するファクターがあるような気がするんです。

竹内 学生の頃は特に、100%コントロールしたいという気持ちも強かったと思います。でもいつからやろ? 何か物足りないというか、もっと陶芸、焼き物の魅力を出したい!そんな思いを持つようになったんです。それで土や釉薬、焼成なんかを改めて意識して考えるようになって、それらと僕の中にある美意識みたいなものを、どういうふうに組み合わせていくか、ということを毎回、試行錯誤しながらつくっています。

座談会イメージ:竹内紘三

広瀬 なるほど。田淵くんの仕事にも同じようなことを感じていて、ベースに白磁ですよね。白磁の仕事はかなり人工的な仕事というか、日本の桃山の茶陶に見るような造形と、白磁はもともと違う。極端にいうと、人間が持っている揺らぎみたいなものを超えたようなところでつくられてきたもの。だけど、田淵くんは白磁自体はすごく人工的なものなのに、そこに薪で焼成するという薪窯の自然性みたいなものをぶつけて、今までにないような世界をつくっている。つまり、お二人はそれぞれの仕事の中に、全く逆向きのベクトルを働かせることによって、自分の世界をつくろうとしていると思うんです。多くの作家は、その仕事のベクトルは一つの方向ですから、そこがお二人に共通するオリジナルな点かなと…。

田淵 逆向きのベクトルっていうのは、あまり意識したことがないですね。

広瀬 焼き物には膨大な歴史があって、大雑把な言い方ですけど、先行する世代の人たちの焼き物は、何かを参照しながら基本はつくっているわけです。李朝の世界が好きとか、中国陶磁の世界が好きとか、須恵器の世界、桃山の茶陶の世界などいろいろあって、それをただ再現するってことじゃなくても、自分の中にベーシックなもの、過去の焼き物の中から何か自分の根になるようなものを持ってそこから仕事をする。あるいは具体的に何かを対象として始めるんじゃなくても、たとえば土が持っている自然性とか、そこに込める自分の轆轤の運動性とか身体性とか、何かベースになるものが一つあって、そこから出てくるベクトルの中で仕事をする。それが僕の知っている多くの作家がやってきたことです。

田淵 なるほど、そうなんですね。

広瀬 田淵くんと竹内くんの仕事は、そこがちょっと違っていて面白い。竹内くんはもともとデザインの世界に興味があって、陶芸の中にかなりデザイン性みたいなものを込めて始めてきたんだけども、そこに否デザイン的な反デザイン的な自然性みたいなものをボンとぶつける。それはたぶん、遺跡とかを巡っている時に、遺跡の中に感じた自然性の持っている大きさとか深さとかに触発されてのことかもしれない。そうやって自分のベースにあるものに全然違うものをぶつけている。田淵くんも白磁というものに手ごたえを感じた時に、白磁を志向する人たちだったら最終的に目指していくだろうものとは、全く別のファクターをそこにぶつけている。お二人の作品は全然違うけれど、作家としての内側にあるダイナミズムには、近いものがあるように思います。今までに自分が体験してこなかったこと、誰も体験していないような焼き物をつくりたいっていう意識が、きっとお二人の中にはあるんじゃないですか。

田淵 う~ん、それはありますね。社会の流れとか、流行とかとは全く関係のないところで、デッカイ王道みたいなものをつくりたいと思っています。

竹内 どこまで具体的にオリジナリティを求めているかっていわれたら微妙ですけど、僕は自分の中にあるものを見たいという感覚なんです。何かを見て、そこに何かを求めるのではなく、そこに自分がどう感じたかをまず出したい。その感じたものを、どういう形にするかをいつも探しています。

広瀬 竹内くんについて、僕が今まで見たり聞いたりしたことを総合して思うのは、遺跡体験じゃないけど、自分の中にある時間のモノサシを超えたような時間が、そこに降り積もって生まれるような風景というか、具体的にはそういうテクスチャーみたいなものに、すごく揺さぶられて、今の仕事があるような気がするんですよね。それとたぶん、格好いいデザインって何なんだろうかっていう、デザインを自分なりにしゃぶりつくしたいっていう志向が、竹内くんの根にあって、その二つがあって今の仕事になっているのかなと。

座談会イメージ:広瀬一郎

竹内 そうかもしれないですね。たとえばいろんな作家さんがいて、それぞれに素材だったり、色だったり、焼きだったりを突き詰めて仕事されていますよね。でも僕の場合はそういう突き詰め方と違っていて、いろんな捉え方から中心に向かっていきたいって感じなんです。

広瀬 先に素材、土だったら土があって、そこからすべての物語が始まるのではないってこと?

竹内 土にこだわるかこだわらないかって言ったら、こだわっているところもいっぱいあるんです。ただ、焼き物っていうものがしたい、その中でどういうものがしたいかって言った時に、自分の感性で思うことを形にしたいというのがベースなので、手法だったり、色だったり、釉薬だったりというところより、中心をめがけていくってところにこだわりがあるんです。だからいろんなことにチャレンジしていくし、いろんな捉え方で、まったく違う印象の作品もつくっているんです。でも、僕の中では同じところに向かっているんですよね。僕の中の表現したい中心、核みたいなものをいつも探っている感じです。

広瀬 田淵くんはどうですか? 自分のオリジナリティみたいなことについては?

田淵 薪窯ができる前は、オリジナリティを出さないかんという気持ちが強くて、今思えばそれは全然オリジナリティではなかったんですけど、でもその時はわからなかったし、それでもつくらないかんっていう中でつくっていました。そのうちに、やっぱり自分がホンマにやりたいことをやることが、オリジナリティにつながる第一歩やなと思えるようになって、それで薪窯を最終的に決断してつくったんです。それでもなかなかうまく焼けなくて、格好いいものをつくりたい、きれいなものを焼きたい、それ一心でしたね。そうしている内にオリジナリティとか全く考えなくなりました。自分の好奇心のまま、興味のまま、純粋にいくことが、一番のオリジナリティかなと今は思います。

座談会イメージ:田淵太郎

広瀬 オリジナリティに拘泥していた頃は、オリジナルになれなくて、そこから開放されてやっとそういうものに接近していけるようになったってことなんじゃないかな。

竹内紘三・田淵太郎 二人展 @ 桃居/西麻布

竹内紘三・田淵太郎 二人展

2011/9/30(金)〜10/4(火)
@桃居/西麻布

2011年9月30日(金)〜10月4日(火)
桃居 http://www.toukyo.com
03-3797-4494
東京都港区西麻布2-25-13
●地下鉄日比谷線六本木駅より徒歩10分
都バス西麻布バス停より徒歩2分
同時開催 竹内紘三個展 @ エポカザショップ日々/銀座
2011年9月30日(金)〜10月5日(水)
» 日々 -にちにち-
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