パノラマ対談 瀬沼健太郎 × 土田ルリ子「物が静かに語れるように」 3/3
文・構成:竹内典子/Aug. 2015
空間の捉え方
瀬沼 いつ頃から展示の空気感とか、空間のつくり方について意識するようになったのですか?
土田 2007年にサントリー美術館が赤坂見附から六本木に移転したことがきっかけです。六本木の建築設計は建築家・隈研吾さんの事務所に依頼していました。展示ケースの会社を選んだり、展示空間や展示ケースそのものの設計も含めて、各方面のプロの方々とチームをつくり、一から毎週打ち合わせを重ねながらつくっていったんです。隈事務所を始めとするプロの方々は、私たちが全く考えなかったような要素にこだわりを持っていて。例えば、展示ケースのガラスの厚みについても、通常は強度や安全性から7ミリというところを、「5ミリにできませんか?」とか、角の小口を直角のまま接着しないで、「45度にカットして合わせてほしい」とか。最初はその細部へこだわる意味がわからなかったんですけれど、一つ一つ出来上がっていく姿を見ていく内に、「これが“六本木のサントリー美術館の線”なのだ」と納得しました。その頃ちょうど、黒川紀章さんの手がけた国立新美術館もできて、つくり手によってつくり出す線って違うんですね。
瀬沼 場所が新しくなって、見せ方の意識も変わっていったのですね。
土田 例えば、長い展示ケースのガラスの切れ目に合わせて、かさ上げ台の幅を決めるとか、キャプションの置き位置を、何となく置いてしまうのではなくて、余計な線を増やさないように置くとか、エッジを合わせるとか。そうやってなるべく線をなくしたり、ミリへこだわったり。こだわり方としてこういうものもあるんだと、すごく勉強になりました。それで、実際に空間ができて、展示するとなった時には、恐ろしくなっちゃったんです(笑)。隈さんの事務所の方をはじめ、関わってくれた人たちが、私の展示した空間をどう思うだろうかと。それから、展覧会の空間づくりを細部まで一生懸命考えるようになったんですね。何回目かの展覧会の時に、お世話になったプロの方から「もう卒業かな?」と言ってもらえて、一応、認めていただけたのかなと。
瀬沼 土田さんは展示をする時、作品のまわりにまとうものというのは、どんな捉え方をするのですか?
土田 この作品をどのケースに置こうか、というのもそうですけれど、この作品にはどのくらいの空間が必要かを考えます。これでは窮屈そうとか、大き過ぎるかなとかあれこれ考えながら、その作品にとっていちばん心地よさそうな空気をつくってあげたいと思っています。
瀬沼 花を生けると、そういうところをずらすこともできるんです。例えば、花器だけを置く時には小さな空間で足りるけれど、そこに一つ花を入れたら、もっと大きな空間の方が似合う。物だけよりも花を入れた方が、距離感や場の空気を動かしやすいし、空間をつくりやすくなります。僕はそうやって空間を楽しんでいるのかもしれません。
土田 いろんなバランスが楽しめますね。おそらく私は瀬沼さんのそういう感覚が好きなのだと思います。だから、個展会場へ行くと、いつもおもしろいと感じるのかなと。
瀬沼 個展は、自分が飽きないように頑張っています(笑)。僕の作品を常設で買える場所はないので、個展では定番品を持ってまわることになるんですね。そんなに多作ではないのに展覧会の数も多くて、まず自分が飽きないようにしないといけない。もちろん季節によって花は変わりますけれど、展覧会のテーマを毎回ちょっとずつ変えながら課題をつくっています。破片を使ったテーマにしたり、大きな花生けをテーマにしたり、横浜の三溪園のような会場は天井が高いので、負けないように贅沢な空間をつくったり。自分への課題として、ちょっとコントロールしきれないかもというリスキーな部分を15~20%くらい背負わないと、僕はつまらなくなってしまって続けられないと思っています。
土田 瀬沼さんの作品や会場は、ある種のストイックさというか、洗練された凛とした雰囲気をお持ちです。素敵な品がありますよね。
瀬沼 僕は上品な人間ではないし、自身のネガティブな部分も見据えているんですけれど、作品は野暮ったいとか品が悪いのは嫌なんです。あこがれてもらえるようなものをつくりたいと思っちゃうし、とにかく作品はきれいでいてほしい。
土田 私も自分のつくる空間には、そうあってほしいと願っています。
物の声を聴く
瀬沼 ギャラリーだけでなく、百貨店で展示会を行うこともあるのですが、百貨店のお客様というのはいろんな層の方がいらっしゃる。だから、僕は自分の作品を見ていただくのに、花が入っていてよかったと思うんです。ガラスだけだったら、よくわからないという人もきっといるでしょう。僕のガラスのよさは、おそらく花によって伝わっている部分も多いはず。ガラスって、シンプルに模様をつけなくても、これだけきれいなんだよと、花の力で言ってもらえている気がします。
土田 そういう面もあるかもしれませんね。
瀬沼 最近の自分の欲求としては、本当はあまり自分の作品自体について語りたくないんです。それは誰かに言ってほしいことであり、どんなことを言われても構わない。ただ、あまり自分で自分の作品について言葉で説明したくないなと。
土田 作家は、作品で語っているのだと思います。だから、私としては作家さんが書いているものを読むより、つくった物から読み取る方が好きというか、それが対話かなと思っています。もちろん今日のように、どういうきっかけでとか、何がおもしろいと思ってこういう物をつくっていますとか、そういうことをうかがえるのはとても楽しいですし、それでこうなっているのかという手引きになったりもします。ただ、最初に文字ありきでは、先入観をもって見てしまうので、これは古い物を見る時と全く変わらないことですが、物を見る時はまず物と対峙してみます。感情移入できるかどうか、お付き合いが始まるかどうか、そこは恋愛と似ているかもしれませんね。
瀬沼 自分もですけれど、知りたくなって先にキャプションを読んでしまって、それでわかった気になってしまうことってありますよね。
土田 物を見ている時間より、キャプションを読んでいる時間の方が長かったり、気が付くとキャプションばかり読んで会場を出てしまったり。そうしないように、訓練みたいなことをしていた時期もありました。他の美術館へ行って、キャプションもタイトルも見ずに物だけを見て、それでハッとしたものだけ読むようにして、意識的に情報を入れないで見るようにしていました。最近は意識しなくなりましたけれど。
瀬沼 キャプションのない展覧会というのは、どうでしょうか?
土田 正直なところやってみたい気もしますが、それはきっと許されませんね(笑)。キャプションが小さいとか、見にくいとかいうことは、お客さまからわりとよくご意見いただきますが、キャプションが大きくてお叱りを受けることはほとんどないんです。
先日、パリ装飾芸術美術館に行ってガラスの大きなコレクション展を見てきたのですけれど、そのキャプションがとても小さくて、しかも傍にないんです。離れたところにブラッとあったり、箇条書きのものがあったりして。照らし合わせてもどの作品についてかわからないし、フランス語しかない。でも、それでいいというか、展示者の意図としてはきっと物を見てほしいということなのだろうと思いました。おそらくフランスでは見る人が何か自分で判断するのでしょうね。
瀬沼 キャプションなしで物を見るって、すごく大事な気がします。
土田 ふだん自分がキャプションで解説をつける時は、この作品を好きになる手がかりになってほしいと思っています。まず作品と対峙してもらって、あれっ?って何か惹かれ始めて、それでキャプションを読む。そこに書いてある情報によって、より好きになってもらえたらいいなと。
瀬沼
それもよくわかります。
今日はいろいろなお話をうかがえて楽しかったです。どうも有り難うございました。
土田 有難うございました。私もとても楽しかったです。
瀬沼健太郎(せぬま けんたろう)Kentaro SENUMA
1972年 東京都出身
1996年 多摩美術大学デザイン科卒業
1996〜99年 多摩美術大学副手
1999〜02年 金沢卯辰山工芸工房研修者
2002〜03年 富士川ガラス工房スタッフ
2006〜10年 エズラグラススタジオスタッフ
2010年 独立
» 瀬沼健太郎 | panorama
土田ルリ子(つちだ るりこ)Ruriko TSUCHIDA
1967年東京都生まれ。サントリー美術館学芸副部長。大阪芸術大学非常勤講師。日本ガラス工芸学会理事。第59、60回日本伝統工芸展第一次鑑査員。1992年慶應義塾大学大学院文学研究科哲学専攻美学美術史分野(西洋美術史)修士課程修了。同年よりサントリー美術館勤務、2001年より同館学芸員、2010年より同館学芸副部長。専門はガラス工芸。「ガレとジャポニスム」展、「一瞬のきらめき まぼろしの薩摩切子」展、「和ガラス」展、「あこがれのヴェネチアン・グラス」展、「フィンランド・デザイン」展、「ボヘミアン・グラス」展ほか、ガラスをめぐる展覧会を企画する。2009年「ガレとジャポニスム」展の功績により、財団法人西洋美術振興財団賞「学術賞」ならびに「第30回ジャポニスム学会賞」受賞。
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